Since 2009
「文体の破壊」を表現コンセプトとして、表現テーマを「夢と現実の混同」にした本作。
どうやらいろいろやりすぎたようです。
2011年作品
オレとミーミャンは洞窟の中を進む。暗闇の中ではたいまつの炎だけが唯一の明かりで、しかしあたりを照らすには心許なくて。腕を伸ばしてゆく手の道に光をもたらしたとしても、目に見えるのはせいぜい大股二歩の範囲といったところ。足音と吐息だけが不気味に響き、まるで幾人もの足音や息づかい。ミーミャンの腕はオレの二の腕をギュウギュウと絞めつける。
ひんやりと湿った空気。どこかで水が染み出ているのだろう、一定の間隔でしずくの音が耳に浸みこんできた。ただたいまつの明かりのもとには水らしいものは見当たらず。あるのはぬめりのある見た目の足元。どこか現実離れした灰色の色合いとその質感が余計におどろおどろしい。
足を滑らせないよう気をつけながら進んでいるが、一向にアジトの姿が現れない。ふと立ち止まって後ろを振り返れば、闇で出口は見えず。たいまつの赤に照らされているミーミャンの目がオレに不安を訴えていた。ミーミャンは暗いところが得意ではない。はじめは乗り気ではなかったけれども、つきあってくれたら一つ言うことを聞くと条件を示したところ、ちょっと考えたのちに首を縦に振ったのだった。
離れたところにぼんやりと明るくなっている壁があるのを見つけたのは、分かれ道をまっすぐ進もうとしたとき。進もうとするオレをミーミャンが腕をひっぱって引き留めて、その方向を指さした。正面数メートルのところで光が漏れて地面や壁にかかっていた。ときどき揺れている感じがあって、暗めになったり、明るくなったり。外からの光だったらもっとまばゆくて、もっと強さにあふれているはず。日の光ではない明かりでかつ揺れるもの、として思いつくものは今手に持っている明かり以外になし。
人差し指を唇の前に立てて、ミーミャンに音を出さないようしぐさした。それから慎重に明かりの下へと慎重に慎重に。耳を研ぎ澄ませて、足元から伝わってくるかもしれない振動にも神経をとがらせた。アジトか、ほかの何か?
膝のクッションをうまく使いながら、漏れ出る光に一歩ずつ近づいていった。着実に、絶対に音で感づかれないよう、そして光の中から零れ落ちる音を逃すまいとして。しかし一歩進むたびに音がするようになって。足を地面につけるたびに電子音が大きくなった。
目を開けるとまず、木の天井。頭の上で電子音がピッピピッピとオレをまくし立てる。仰向けからうつぶせに寝返りを打って、時計の頭を叩いて黙らせた。時間は八時。オレはああ、バイトの支度をしないと。
連日のように似た夢を見ていた。たいていがカラーの夢で、いかにもといった雰囲気のファンタジーRPGと言えばしっくりくる。オレは夢の中ではフェンシングで使う形の剣を操り、パートナーのミーミャンと一緒にいろいろなことをする。盗賊を倒したり、とつぜん現れた魔物とターン制で戦ってゆくというゲーム感丸出しのものだったり、隠密だったり。かと思えばミーミャンと一緒に森を散策したり、大都市観光に繰りだしたり。現実では寝ている裏で、オレはファンタジーの住人。
夢の世界ではメリハリのある充実感たっぷりの生活をしている一方で、オレの現実はさも無機質で冷たい。毎日のように近くのコンビニでのアルバイト生活。正社員として暮らすルートはとっくのとうに閉ざされて。これからずっとフリーターとして、薄給の中をみすぼらしく過ごしてゆくルートしかなくて。
別に望んでこんな生活を何年も続けているわけではない。諦めたとするのがどちらかといえば正しい感覚で、就職活動に失敗して、卒論の単位を落として、結局卒業できず。就活失敗で卒業失敗ならむしろ都合がいいと思える人もいるだろうけれども、オレにはそんな考えは思い立たなくて。将来への希望を持つ方が無理な発想に思える。もういろんなことが面倒になって、結局大学も退学して、そのときしていたコンビニのバイトの薄給にしがみついているわけ。
シャツにジーンズというみすぼらしい恰好。大学生のころに買ったプリントシャツは襟のところがすっかりよれよれだった。ここ数か月は服らしいものを買った覚えがなかった。買う金がないのだから当然と言えばそれまでだが。
バイト先のコンビニは家からごく近い。歩いても数分しない。アパートが面する道路――中退したときに実家を追い出された――を左に信号二つ分歩いて、それから十字路を右に歩いてゆけば勤務先がある。住宅街の中にいすわる箱の平屋、コンビニの典型。
バックルームに入るなり、オレは壁に全力疾走。タイムカードがいくつか突き刺さっていて、自分のをひっぱりだして素早く打刻。できるだけ給料の出ない時間を作りたくはなかった。
制服を身につけ店頭に出ると、森田オーナーが酒の前出しをしていた。はげた頭を必死に隠そうと、片方から気持ちばかりの髪を頭頂部にかぶせてバーコードとしている。先頭の一束がずれ落ちて額にかかっていた。どこまでが額なのか、よくは分からないが。
オレは誰もいないレジに立って来るけはいのない客を待ち構えた。実際のところ、この店での仕事の大半はレジの前でボーっとしていること。ろくに客が来ないから店内が汚くなることもないから頻繁な掃除は不要だし、ホットスナックが切れてしまうこともない。切れるとすれば廃棄処分をするとき。表向きは廃棄扱いにして、実際は俺の腹の中に処分することが大半。それを見越して、保温ケースの中には大概二つから三つぐらいの在庫しか置いていない。
森田が滑り落ちている髪を戻しながら近寄ってくると、掃除をしてこいと命令をしてきた。へーい、と答えてレジカウンターから出てくれば、そんなブサイクな声で接客するなよ、と見かけによらぬ言葉を口にして。この男は発言一つ一つが癪にさわる。特にここ最近はより磨きがかかったようだ。
とはいえ外の掃除はコンビの業務の中では最も不快でない。バーコードと顔を合わせなくてよいし、なにより外に出られる。掃除にミスが生まれる余地はなく、店内の何も変わらない光景から逃げだせる。
ほうきセットを手に外へ出て、空を見上げればたくさんの雲が流れていた。さまざまな灰色を塗り重ねたような、平面な空模様。でもすきまが開いて、そこから澄んだ色合いの青と日差しがのぞいていて。すきまに太陽が顔をのぞかせたときは、明るさという基準を通り越えた光が飛びこんできて、思わず目をそらした。
季節は初秋。季節を勘違いしたセミが声を張り上げている。うっとうしさを帯びた声がじき消えて、一年で最も心地よい空気。これほど外の掃除がうれしく思える季節はない。冬は寒さに身を縮めなければならないし、春は見知らぬ若い迷子の女のために道案内をしなければならない。そして夏は蒸し暑さとセミの煩わしさ。
外に備え付けのゴミ箱に柄つきちりとりをたてかけた。周りにおにぎりの梱包が落ちているのが目に留まって。その隣で口を開けている燃えるごみのゴミ箱。おそらく捨てようとしたら落ちてしまってそのままにしたのが残っているのだろう。
ゴミ箱におにぎりの片割れを食べさせてからはきにとりかかった。はく必要は全く感じないけれども、それでもはく動作はやめず。はくのをやめてしまえばただつっ立っているだけに思われて、森田オーナーの小言を聞く羽目になるのは目に見えていて。
店の周りを歩き回りながら手を動かしていれば、砂みたいなものがほんの少し集まった。白い綿毛を全身に生やしたケセランパセランのような種子が一つ、砂ばかりのゴミには異質だった。
ちりとりにゴミを食べさせてから、ゴミをせがんだままのゴミ箱に手をかけた。ゴミ箱の腹を開けて、中の袋を取り出す。袋の底にカップ麺の残り汁らしき液が溜まっていて、見ているだけで胸焼けの塊みたいなものが食道をせりあがってきた。上の方に積もっているスチロールの容器やらビニール袋、ホットスナックを包む紙袋に視線を保つよう努めても、どうしてもチラチラと視界の隅に顔を出すのだからたまったものじゃない。
手早く袋の口を縛り上げたのちに、ペットボトルや瓶・缶の袋も同じように縛り上げて。三つの袋を左手に、ほうきとちりとりを右手に持って店の後ろに隠れた。オレンジ色のカゴ台車がすでにいくつかのゴミ袋を抱えていて、オレは手のそれらを投げて袋の山に積み重ねた。いっぺんに全てを投げるほどの筋力はないから、一個ずつ、投げられ待ちは足元に落として。
外の掃除を片づけてからは、店内の掃除。ところどころにある泥の靴底。ろくに客が来ないのに泥の足跡がついているのは森田オーナーのせい。いつもどこかで泥をつけて、その足で店内をうろつきまわる。それでオレが床を磨かなくちゃならなくて、なのにオーナーはオレの挙動一つ一つにケチをつける。そんなんできれいになるわけがなかろう、とか、気を付けてないから商品にぶつかって倒すんだ、とか――ほらまた。尻が棚に軽くぶつかって菓子のパッケージが倒れるなり、大きすぎる小言を吐く森田だった。横になってしまった商品は底面がいつも湾曲しているがために、ちょっとした衝撃でも倒れてしまうのも知らず。その商品が引き金で大きな小言を聞く羽目になったのは数知れない。
倒れた菓子を元に戻して、オーナーの汚した床をきれいにしながら、ふと店内の時計に目を向けた。終わりまでまだまだ時間があって、かなりゲンナリする。まだこのコンビニにいなくちゃいけないのかと考えるだけで気分が沈む。時計を見なければよかったと後悔するのだった。でも見ずにいられないのもまた事実で。