Since 2009
ここ最近の作品の中では一番芳しくない成績を残した作品。
せめてもの供養にここに公開します。
たぶん2010年作品
食事を終えて恋人つなぎのふたりは、はるか頭上にそびえる建物の看板を見上げながらの散策をしていた。夏場とはいえ、さすがに暗くなってくる時間である。テレビで放映されているアニメーションのキャラクターが巨大な看板を占領していたりするのが、青や緑に髪を染めた女の子のキャラクターが水着姿になっているイラストがかかげてあるのが目についたりした。
歩いてみると、秋葉原がいかにゴチャゴチャしているのかがよく分かった。見上げればどこにも看板があって、なんらかの秩序があるかといえば全くない。どれもこれも自己主張しようと前にでようとしていて、圧迫感にも似た感覚になる。店先に視線を移せば、整然と置かれているのか乱雑に置かれているのか分からない商品の山だ。どれもこれも、あたかもひな壇の芸人のように、マサキたちに迫ってくる。マサキと同じように街を歩く観光客の外国人にとっては、これがおもしろいように見えているのだろう。はっきりといって、マサキは好感がもてなかった。
だからといってデートがつまらないわけでは決してない。要は、ルミが傍にいてくれればよいのである。
「なんどかきてるけど、ここまでくるのは初めて」
「きてるって、アキバに?」
「うん、もっぱらあのショップだけど。ほんとにコアなものばっかりあるよね、電子部品とか、パソコンのパーツとか」
「秋葉原って本来そういうところだからね。電気街とか工学系って感じ。アキバが文化拠点みたいになったのはつい最近のコトじゃん」
「でもそのせいかな、なんかいろいろありすぎて目が痛いというか」
「イイ気分じゃない、って?」
「上手くいえないんだけど、そんなとこ」
マサキはニヤリと笑みを浮かべた。ルミの目がかなり輝いているものだから、てっきり秋葉原のゴチャゴチャ感が好きなのかと思いこんでいた。でも、ルミもよい気持ちも抱いていなかった。マサキと同じように!
「なにがおかしい? 笑うようなところなんてなかったでしょ」
「いや、考えてるコトはおなじだなって。オレもさ、なんだか」
「やっぱ慣れてないからかな」
「それもあるだろうけれど、きっと生理的なレベルだと思うな」
「マサキはそうなんだろうね。さっきから手の力がちょっと強いもの」
マサキは恋人つなぎを見下ろした。手に宿るルミの熱が強く感じられた。力に押しつぶされて、ルミの手が固いもののように感じられた。力を緩めてみればたちまちルミの手が柔らかくなる。もう一度強めににぎりしめてみて、ようやく、力を入れてしまっていることに気づいた。いつから強くなっていたかとたずねてみれば、水着姿のイラストがあったあたりだと答えた。
気づかなくてごめん、と答えて、マサキは視線をルミから正面へとやった。ゴチャゴチャした雑踏。だがマサキは、雑踏の中に鮮明なものを目の当たりにした―ライトブラウンの髪の毛。すっかりくすみきった世界の中、その髪だけはまばゆいほどの輝きをまとっていた。
リョウコ似がゴチャゴチャの中を迫ってくる。マサキたちもまた、リョウコ似に迫ってゆく。ルミをちら見すれば、やはり気づいている様子はなかった、左側にある店の様子を眺めていた。
ますますリョウコ似が近く大きくなってきて、顔つきがどのようなものであるかはっきりしてきた。輪郭は丸くなだらかで、チークが赤い。やや細い眼には鮮やかなアイシャドウと、マスカラでかさまししたまつ毛。マスカラではなくアイラッシュかもしれない。まつ毛が化粧しなければありえないぐらいの長さとなっていることだけは確かだった。薄い唇には、鮮やかなピンクのルージュがぬってあった。
リョウコ似は〝似〟ではなかった。マサキが見た限り、まちがいなくリョウコ本人だった。ただ、どこかの制服を思わせるような服装をしていて―高校時代の制服ではなかった―、かつて見たことがない恰好だった。
リョウコとはすぐ目があった。カレー屋のときと同じ強い力を備えていた。人ごみの中、進行方向を見ようとせず、マサキを睨みつけているかのようだった。ちょっと視線を落とせばちらちらと手に提げる紙袋が目に入って、人をデフォルメしたキャラクターが描かれていた。そのキャラクターの雰囲気が、ちらほらと目にしている〝オタクショップ〟のもののようだった。
リョウコにそういう趣味があるとはきいたことがなかった。あの紙袋の中にはなにが入っているのだろうか。一般的なゲームか、漫画か、それともコアなものたちか? しかし秋葉原に免疫のないマサキにとっては、そもそもオタクショップの紙袋なのかさえも分からない。なんとなくで雰囲気をそう思ったのだが、結局どれがオタクショップでどれがそうでないのかを理解していなかった
すれ違うときでも、マサキはリョウコから目を離さなかった。いや、目が離せなかったというべきだろう。マサキはその容姿もさることながら、リョウコの熱く強い視線に羽交い絞めにされてしまっていた。
リョウコが通り過ぎたあと、とても甘い香りがした。リョウコが香水をつけているのは珍しいことではないが、甘ったるい香りのリョウコははじめてだった。マルリの席で嗅いだコトのあるリョウコの香りといえばかんきつ系のもっとサッパリしたもので、バニラエッセンスをひたすら煮つめたような香りではなかった。
リョウコのバニラ臭はしかし、たちまち灰色の雑踏にかきまぜられて、カレーやら誰かの体臭やら下水やらのいろんなにおいが混じったカオスとなってしまった。
「ねーねーマサキ、あれ、前ネットでみた店」
「オンラインショップをやってるところか、そういえば熱心にサイト見てたよな」
「ちょっとおもしろいかなーっていうゲームがあって。中見てみたいんだけど」
「ん、じゃあいってみようか」
やはり、ルミはなにも気づいていなかった。リョウコの姿も、リョウコ似の誰かの姿も、ルミの眼中にはなかったのだ。
ナミがショップで買ったものは海外版のシューティングアクションゲームだった。架空の戦争に身を投じるひとりの兵士となって、あるときは突撃、あるときは狙撃といった様々なミッションをこなしてゆくというもの。偵察や潜入もやるという、まさにナミ好みのものである。その手のゲームはほかにもあったのだが、世界最大のプレイフィールド面積というのが決め手だった。
そしてナミは、ちょうど自分のパソコンにそのソフトをインストールしている最中だった。画面にはDVD2からDVD3にインストールディスクを交換するよう英語で指示がでて、ナミはケースからディスクを取り出した。
手持ち無沙汰なマサキはおもむろに立ちあがって、ルミの部屋のある壁を眺めた。壁にはペグが打ちつけてあり、様々な銃がひっかけてあった。競技用のライフルが一丁にピストルが二丁、ほかには本物の銃のような外見のピストルとリボルバーがそれぞれ一つずつあった。ピストルを手にとってマガジンを外して見れば、実銃のような銃弾があった。机の横には〝モデルガン用〟と大きく印字された火薬キャップの箱が置きっぱなしだ。その傍には、ピストル用の弾倉があった。どうやら彼の手にある銃はモデルガンらしかった。女の子の部屋には全く似つかわしくないが、ルミの部屋となれば、それらはたちまち〝らしい〟アイテムとなった。
マサキは銃を構えてみた。ずっしりと腕にくる重い感触を体感しながらも、不謹慎にもルミに照準を合わせた。
「そういえばアキバにリョウコいたみたいなんだけれど、気づいた?」
「リョウコが? うそ、私は気づかなかったよ」
「ルミはずうっと店の方ばかり見てたからね」
「教えてくれればよかったのに。で、どんな感じだった?」
「ひとりできてたみたい。どこかの制服みたいな恰好で、香水もよくかぐものじゃなかった。いつも爽やかな感じだけど、甘ったるかった」
「もしかして秋葉原でバイトでもしてるのかな。だったら制服姿っていうのも説明つくし。でも、リョウコの家から秋葉原までって、結構な距離あるよね」
「へんだよね、近場で済むはずなのに」
ルミはパソコンの指示に従ってインストールディスクを交換したのち、マサキに歩み寄った。銃を奪うと、中に入っていた弾倉を取り出し、机の上にあったものと交換した。銃上部のスライドをひっぱってシリンダーの中に薬きょうを収める。おもむろに壁をロックオンして、引き金を引いた。乾いた炸裂音と、火花。スライドが反動で激しく動いて、中に入っていた薬きょうが排出された。白いモヤモヤが銃の上に漂っていた。
「秋葉原の方が給料いいとしても、交通費でプラスマイナスゼロじゃないのかな」
「交通費ってでるものでしょ。それにリョウコの大学はそっち方面」
「家からバイト先までを申告しておけば、通学ルートと共通する分はお得っていいたいわけかあ」
「やっていいか悪いかは別として。でも、あっちだったら千円は当たり前なんだから、東京でやるにこしたことはないでしょ」
「そうかもしれないな」
ルミは次にパソコンをねらった。片手で銃を操り、パソコンめがけて撃ち抜いた。ふぬけた銃声が部屋中にとどろくが、パソコンには傷一つなかった。煙が立ちのぼるる中、インストール作業が終わった。かと思えば、再起動するよう指図してきた。
「マサキ、やっぱり疲れた目してる」
「そりゃそうだ、秋葉原をあるきまわったんだから」
「それにしても、だよ。まるで比較文学の試験を受けたあとみたいな表情。ほら、単位とれるかどうか分からないっていってた授業」
「そんなひどい顔してる?」
「うん、してる」
マサキは手を自らのほおにそえた。ルミの部屋にいるだけですごく楽しい気分になっていたのだが、ルミのその言葉を耳にして、急にどっと疲れが体じゅうに貼りついてきた。特に太ももにまとわりつくものが重かった。手首にもダンベルがついているかのようで、ほおに手をつけていることさえもだるくなってきた。
マサキのTシャツを小さな手がつかんだ。ルミの温かさが腰に溶けこんでゆく。ジュワジュワとはがれおちてゆくだるさ。ルミの言葉でだるくなって、ルミの手でだるくなくなるなんて、ただ無意識にもルミとの触れ合いを求めていただけなのではないか。ふとわきあがってきた疑いも納得できるほど、じんわりとした温かさは心地よいものだった。
テーブルの前に座るよういって、ルミはマサキの背中をおした。テーブル前まで押しやった腕は、次に肩をつかんで床に座らせた。あぐらをかくマサキの隣にルミが腰を下ろした。手が離れたかわりに二の腕がぴったりとくっ付いて、肩からの温かさもまた心地よいものだった。
「それにしてもさ、アキバでバイトしてるんだったらそうしてるって教えてくれればよかったのに」
「教えてもらってどうするんだ?」
「ええと、なんかサービスしてもらえるかなー、なんて」
「アルバイトの分際でそんな気前のいいコトできないでしょ」
「でも私のバイト先だと、友だちだっていっておけば割引してもらえたよ」
「その分給料差し引きなんじゃないか?」
「ううん、そんなことなかったよ。いつもと変わらずの給料だった」
マサキとルミは同じ一点を見つめていた。とはいっても特定のどこか、というわけではない。ただぼんやりと同じ方角に目を向けているだけだった。目的なんてない。漠然と、一緒に。
言葉が途絶えた。マサキの耳に入ってくるのは、依然として再起動を求めているパソコンの動作音と、隣から聞こえるかすかな吐息だった。ちらっと隣に目をやってみれば、ルミもまた目を向けていた。視線が重なりあい、世界がマサキとルミの二人だけになった。
接吻をするなら絶好の機会ではあるが、しかしマサキの脳裏にはリョウコの姿が駆け巡った。どこかからリョウコがのぞいているような気がしてきた。ありえないコトだといいきるだけの勇気が今のマサキにはなかった。〝会うはずがない〟とさえ思っていない秋葉原にて、リョウコを見てしまったのだから。しかも二度も、である。
鼻先をルミのにおいがくすぐった。リョウコの姿はすぐさま消え去るのだが、それでもキスしようという雰囲気には戻れなかった。見つめる先にあるのはルミの強い視線で、マサキは耐えられずに目を逸らした。だが、顔の距離を離すほど冷めた気持ちでもなかった。