にの、にの?

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とっぷぅあばうと小説あり□ 同人誤字脱字案内メール

オリジナル作品

かみになれない

いつの間にかブログで連載中断状態だったから、気が向いたので全文掲載。
ただし、あまりクオリティのよくない作品につき注意。
2009年ぐらいの作品

連載

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
この 作品 は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 非営利 - 継承 3.0 非移植 ライセンスの下に提供されています。

頭よりも体は素早かった。後ろから、異端だ、という声を聞いた気がするが、はっきりと意識したときには、教会からそれなりに離れたところを逃げていたのだった。顔を後ろに向けるが、追手らしき蒼い外套の姿はまだなかった。

まず宿の支払いと身支度をして町を出よう。それからとりあえずロナの寝床にもぐりこんで、これからのことを考えるのが一番安全だろう。危険性は少ないとはいえども、教会跡のことをあっちは知っているはずだからすぐに来る。時間稼ぎにどれほどの効き目があるのか未知数だが、少なくとも大きな効果はみこめない。

宿の前にロナの姿をみつけた。足を肩幅に開き腕を組んで、私をじっとみている。どんどん駆け寄っていっても、彼女の表情は全く変わることがなかった。

私はゆっくりとその表情の違和感に気づいだ。何もしていないようなときの優しい顔ではない。教会や古代魔術を話題にするときのような険しい顔とも違う。顔中に汗がにじみ出ていて、更に特徴的なのは目。一方は変わらないのにもう一方は細い目をしていた。眉間にしわが寄っていて、変わっていない目につく眉毛がつり上がっていた。細い目の上は普通だった。

ロナの前で立ち止まってもなお、彼女は腕を組んで私を見上げた。

「早く行くよ。荷物は私んとこに送ったし、宿賃は払ったから」

「え、そんなお金」

「いいから行くよ」

腕組みが緩んだと思ったら私の手を掴んだ。

ロナの寝床に立っていた。手を掴んだと同時に術式をかけたらしい。一瞬のことだから、事前に『Saget-』の術式をつけていたということか。どこまでこの子はすごいのだろう。私がいないところから逃げる手はずまで打ってある。私と彼女には違いがある、古代魔術以外とは決定的に違う何かが、よくは分からないけれども。とにかく低次元、という感じではなく、高度、なのだ。

ロナが言う通り、私の荷物は部屋の隅に置いてあった。教会においてきた帯以外の中身は全て入っていた。服に至ってはきちんとたたまれて入っていて、私よりもきれいな収納をしている。

「払えるだけのお金、本当にロナ持ってたの」

「いいや。術式無効術式をかけたときに、おねえちゃんの報酬から宿代分を抜いたの」

「術式無効、そんな術式があったんだ。でも、術式無効に加えて宿代を抜くなんて、そんなに複雑なことするとなると、最低でも十個以上の術式をやらないと」

「だからちょっと疲れちゃった、久しぶりにやったから」

脚の力が抜けたように、ロナの腰が落ちた。寝台がきしみ声をあげた。

術式無効術式は知らないが、報酬の入った封筒から宿代を抜いて術に関しては相当複雑だ。まず紙幣がある場所の座標確定と、座標上にある紙幣となる材質の検出、その紙幣の形状を記憶させた上での原子分解、原子転送、転送のための座標決定、原子の再配列をして、分子として構築、それから紙幣として再構築。私が思いつく限りでもこれほどの工程を要し、やっていることはどれも難しいことばかりだ。加えて、私の荷物をここに飛ばして、私たちまでも飛ばしている。

「すごいね」

それ以外に言葉が出なかった。

「そうでもしなきゃ、今ごろおねえちゃんは死んでたか、牢獄で処刑待ちだったよ」

「うん」

「どうして行ったのかなんてことはもう聞かないことにするけどさ、なんか考えとかあるの、まさか死ぬつもりで行ったわけじゃないよね」

「隣の国に行くつもりだったの、うまく逃げて。この国以外は教会の力が弱いから、異端として殺そうにも殺せないはずだから」

ロナがどういうわけかため息をついた。そのまま胴を寝台に倒し、天井を見上げるような格好となった。汚れ除去の術式を呟いて、汗が引いてゆく。その間彼女は目をつぶっていた。目を開けてため息をつく。

悪くはない、とその子が言った。部分否定を強調する口調だった。これ以上の身を守る手段があるのか、と私は不思議だった。教会の縄張りから逃げさえすれば、魔術が普通の世界。教会が掲げる思想が通用しない場所だったら、私たちの安全があるのだ。

悪くはない、ともう一度口を動かした。上半身を立て直した。

「悪くはないんだけどね、たぶんそれよりもいい選択肢はないって分かってるんだけど」

「なら行こうよ、ね」

「私は、教会を潰したいの。教皇のことしか考えてないような教会を、この手で」

ロナが腿の上で握りしめるこぶしに目を落とした。右手でつくった握りこぶしを左手が掴んだ形となっていて、子供のこぶしにみえなかった。実際、あの手で壮大な古代魔術を成し得るのだから、ただのこぶしではないのだが。

「私は、今の教会は、世界中どこでもそうだと思うけど、本当の狙いを見失ってるところがあると思うんだ。グアミ教は教皇の力のために、魔術が使える人を殺してる。当然他の国の魔術を勉強した人だっているのに、その人も殺してる」

「どうしてそこまで教会にこだわるの。それに、ロナみたいな子供が考えることじゃないよ、人を殺すとか」

ロナの手だんごが緩んでほぐれた。手はたちまち離れて、尻の横に落ち着いた。視界に手をなくした彼女の目が、私の足を見下ろした。辛うじてみることができるその目の表面は澄んでいるようにみえるのだけれども、すきとおった層の奥にのぞく姿はまっくろで、何があるかはっきりとしていないような気がした。

ロナが、ごめんね、と言葉を落とした。本当はこんなことに巻きこむつもりはなかった、と変なことを言いはじめる。こんな苦しいことに巻きこんでごめんなさい、と追加の言葉が流れ出る。

私は彼女に巻きこまれたのか。教会に異端とされた直接の原因は、私とロナが部屋で古代魔術を使ったこと。否定できないけれど、私が彼女と関わろうとしたのだ。巻きこまれてはいない。ロナの言葉を使えば、巻きこまれに行った。

気にしなくていいよ、ということを伝えたら、ロナがゆっくりと顔をあげた。視線の先にある私の姿を目に焼きつけるような動きで、私の顔を正面にしたロナの顔はまっくらだった。表情が暗いということではない。何というか、顔の周りにある雰囲気がまっくらといった感じなのである。

突如、ロナが問いかけてきた。

「魔術の三大至難術式って、なんだか知ってる」

「私が使う術式は小さな炎だけだから」

「命を作り出す術式群、進化を促す術式群、人の命を永遠にする術式群。当然簡単な詠唱文じゃない。三つ目のを例にすれば、細胞の再生を無限にするために施す術式だけでも五百は超えるんだ。それで、全部をやるとなるとだいたい四千から六千の術式が必要で、全部が特殊な術式なんだ」

「特殊って、五・七・五・七・七・五・七の術式」

「そう、だから、不可能って言われてるの。これこそほんとに術式群が完成する前に体力使い果たして死んじゃうだろうって」

極めつけの古代魔術が命にかかわるもので、紙の上でしか成り立たない術だってことも理解した。だが、この話は今なされなければならない内容であるかははてなだった。一番気にしなきゃならないのは教会のことで、術のことではない。命の危険が迫ってきている状況でする話なのか。

ロナが飛び上がるように腰を上げて、私の横をのそのそと歩いた。真横を少しばかり通り過ぎたところで脚が止まった。視線がまたもやあう。

「グアミ教という大きな存在が今目指してることは、永遠の命、命の制御、神の域に達すること。教皇はそのために至難術式の研究をしてるって言われてる。力さえあればできるぐらいに術式を軽くする研究を」

「でもそれが、なんのつながりがあるの」

「それができないことを証明すれば、教会全体を潰すことができると思うんだ」

「無理だよ、宗教はそうやって何とかなるものじゃないし、その前に、本当かどうか分からないもん」

宗教は信仰を集めるものとして地に根を張るわけだから、教皇の目的を否定したって何にかなるわけでもない。その目的が秘密裏に隠されているものだったらなおさら、信用はされない。そんなことをして対抗しようとしても、宗教に、教会に太刀打ちできるとは思えない。無謀としかいいようがない。この子の齢を無視しても、である。

ロナが私の手首を掴んできた。手首を見下ろしてから目をみようとすると、すっと目を逸らしてしまった。茶色い前髪が揺れ、手首を掴む力が強くなった気がした。

そこが問題、とロナがぽつり呟いた。その声は聞いたことないほど小さく細くて、自信がないように感じられた。不安としかないようだった。

「だから、教会を潰すなんてことはできないんだよ、逃げればすぐに終わるよ。だから、行こうよ安全なところに」

「でも」

「ロナだって分かってるでしょ、そんなことできっこないんだよ。たった一人の力じゃ、死にに行くようなもの」

「分かってる。分かってるよ」

「なら今すぐにでも行こう、教会はすぐにでも来るよ」

ロナの左手が、手首にある手の上に巻きついた。私を正面にする彼女の顔が下を向いていて、すっかり暗くなっていた。同時に私には、腕にしがみつく手が、私をとどめようとしているような気がした。それがはじめて私を頼っているように思えた。

ロナを守りたい。思うには思うけれども、ロナが目的を成し遂げるには危ない一本橋を渡らなければならない。教会を潰すなんてこと、危険すぎてやらせたくない。頼ってくれていても、私が選ぶのは逃げることしかなかった。

教会を潰すことは危険。

教会を潰すことは危険である。

言葉が変なところに引っかかって、たちまち気付いた。普通だったら、グアミ教を潰す理由が、グアミ教が気にくわない、では成り立たない。グアミ教が嫌ならグアミ教から離れればよい。にもかかわらず、ロナは倒すことだけしか考えていない。ロナがグアミ教を倒すことにとり憑かれている理由が消えてしまった。

しがみつく手を荒々しくならないよう気を配りながら外した。ロナは目を大きく見開き、唇が小さい丸をつくっていた。私は彼女の名前を呼んで、両肩に手を置いた。しゃがんで、目の高さを同じにした。

ロナだって私が思っていることは分かっている。私の考えに賛成したのだから。きっとロナにはグアミ教が気にくわないわけではなくて、他の理由があってグアミ教を倒そうとしている。言えない理由があって、ずっとグアミ教が気にくわないと、ざっくりと言ったのだろう。

その理由を聞いてみた。

私は、と言って、ロナは私の目をみなくなった。顔ごとではなく、眼をほんのちょっと斜め下に動かした。私を視界から消している瞳が、小刻みに震えていた気がする。エントの書物で出てきた、マグリアの怯えている目と大して変わらなかった。

私は目からにじむ弱さがたまらなくなって、抱きしめた。右腕で背を、左手で頭を包みこんだ。

「もっと私を頼っていいんだよ。もっと、素直に言ってくれていいんだよ」

「おねえちゃんが聞いたらきっと一緒にいたくなくなるよ」

「私はロナのことが知りたいんだ、もっと仲良くなりたいの」

言葉が返ってこなかった。耳元にあるロナの口からは、微かな吐息の音しか出てこなかった。息だけでも、彼女の様子が手に取るように分かった。息が詰まるようになって、吸う息の音が大きくなった。もしかしたら泣きだすかもしれない、と考えてみたところでロナの息が落ち着きを取り戻した。

「ありがとう」

ロナの指先が脇腹に触れた。次は手がついて、手首と腕と。背中の真ん中に向かって手が動くにつれ、体が密着してきた。

ようやく話してくれると思ったら、私の目までもがうるうるしてきた。はじめてロナとの距離が一歩縮まったと感じることができた。遠いと思っていた彼女が、ぐぐぐうっと走り寄ってきた。もっと彼女と親しい関係になれると思うと、嬉しかった。

私よりもロナは一歩上をゆくらしい、背中にかかる心地よい圧迫感がひいて、体が離れていった。ついさっきまで背中を押していた手で、まず自身の目をこすって、それから私の目じりを撫でた。

「今は簡単に説明するだけにしておくね、なるべく早く動きたいから」

私はロナの頭に手を添えて、撫でであげた。こくんと頷いてみせた。

全部信じられないかもしれないが全部信じてほしい、との前置きののちに、ロナは教えてくれた。曰く、今まで話してきたロナのことは、ほとんどが出まかせだった、本当だと念を押したことも全部。ロナは至難術式の内の一つ、人の命を永遠にする術式をうん千年の大昔に使ったらしい。術式の負荷のせいで体の組織が子供になってしまったのだという。だから本当は死んでいるはずの人間なのだ、と微笑んでいた。本名はグアミ・ブーロナス=フォロ。神として祀られているあのグアミ。

グアミ教を潰そうと思っている理由は、できた頃のグアミ教から大きくはずれた今の、と言っても彼女にとっては千年単位なのだが、そのグアミ教がグアミ自身の思いを無視しているからだとのことである。本来のグアミ教は他者との協力や困っている人への手助け、他宗教の尊重などを中心に据えた思想だったらしい。それを自分たちのためだけに考えをねじ曲げて、自身の訴えた思いをないがしろにしているとロナは訴えるのだ。自分たちのためだけに至難術式の研究をしたり、魔術のできるものが抵抗しないよう、または消すために異端という制度を作り上げたのだとつけ加えた。

彼女の言葉を使えば、エントがつくった道をマグリアのような連中が大勢で壊して回っている、らしい。同時に、自身の名を冠した宗教のために人が死んでいることが恥ずかしくて悲しくて悔しいとも言った。

全てが全て信じられないけれど、今まで黙っていて話したらでたらめ、とは考えられなかった。その上、この理由ならわざわざグアミ教を倒そうとする理由の筋が通る。自分の名前のついた宗教なら、手を出したくなるのは分かる。

ロナの振る舞いもまたすさまじかった。部屋の中を動き回りながらの説明で、身ぶり手ぶりが大げさとも思えるほどのものだった。ひときわ、潰したい理由を口にしているときは声までも大きくなっていた。

喋り終わると、大きな息の塊を吐き出して、地べたに座りこんだ。

私はロナの頭を再び撫でた。髪の目に沿って、ゆっくりと二度、梳かすように前髪を整えた。教えてくれてありがとう、と言葉を投げかけてみたら、彼女は口角を上げて、さも嬉しそうな顔をした。

だけれども、悠長にのんびりしていられないというのも事実だった。いつ敵がここにやってくるか分からない。

それでも、私は逃げたかった。ロナがしたいことも分かる。だけれども、今の状況ではあまりにも不利である。まとまりの大きさも、私たちは二人に対して、相手は千や万を数えるという大きな差である。情報もだ。ロナは長い間の蓄積があるだろうが、グアミ教を切り崩してゆくには大きすぎる蓄積なのだ。全体的な流れとしては完璧だが、細かいところが分からないとこういう状況では役に立たない。

ロナに考えを告げたら、嬉しそうな表情がひっくり返って、けんか腰になった。

「私の話信じてくれたんでしょ。なんで、逃げようなんて言うの。本当は信じてないの」

「信じた上で言ってるの。こんな状況じゃあ、できることもできないよ」

「今もどこかで殺されてるかもしれないんだよ」

「倒そうとして失敗したら、余計たくさんの人が死ぬ。まずは基盤作りからはじめないと」

「私なら一人でできる」

「ロナだけならね。でもこれは私の問題でもあるし、グアミ教全体の問題でもあるんだよ。一人で何とかするようなことじゃない」

「私はグアミなのよ」

「彼らが崇めてるグアミはロナじゃない、別物よ」

次の刹那、しまったと思った。勢いで言ってしまったが、ロナにとってはとげとげしい言葉に違いなかった。グアミ教を何とかするために何千年と生きてきたロナにしてみれば、生きる理由が壊された。焦りで締めあげられた心の中で考えてみると、長い歴史の中ではありえることで、そのことが更に締めた。

ロナのどなり声が続くと思った。古代魔術で消される、そのような直感がよぎって目をつぶった。姿がみえないのに、体は勝手に肩をすくめて、顔を背けている。怒られると勘づいて逃げて隠れようとする子供みたいだ。

声が来ない。私をけなす言葉も、古代魔術の第三クルナシア語も聞こえなかった。

目を開けると、ロナがいた。目をこれ以上丸くできないほど丸く見開いて、口をぽかんとさせている。私と目が合っているわけでもなく、でも一つのものに焦点がついているわけでもなさそうだった。

「無駄ってこと」

「え、何が」

「グアミ教のために体をこんなにしてまで死なないようにしたのに、今じゃあもう遅いの、もっと昔に手を講じてればよかったってことじゃないの」

ロナの気の抜けた目がみるみるまに水っぽくなった。私を見上げている顔が、膝に顔を向けた。雨粒が二つ頬を掠めたかのごとく、すすすと涙が滑り落ちた。流れ落ちた涙はあごに集まっており、まとまって飛び降りていった。

息をつっかえさせながら、言葉を言ったらしい。泣きながらの声で聞き取れなかった。わずかな間だけ真顔になり、顔をゆがませ両手で水浸しの顔を覆い隠して、こちらに頭のてっぺんをさらす形となった。

思っていたこととは別の方向に動いているが、どちらにせよ、私はやってしまった。この方が生きてきた数千年を、私は一秒にも満たない言葉で打ち砕いてしまった。売春と翻訳だけで二十年近く過ごしてきた若い私に言われたのだから余計である。

気持ちの中では彼女が私よりも大きな存在であることは認めているものの、目の前の泣き姿をみている私には、やはりこの子が小さな女の子であるかのようにしかみえなかった。

普通の人のうん十倍もの人生を経験している彼女が、どこにでもいる女の子のように泣いている。

結局はロナ自身、たとえ神グアミであるといっても、命を除けば、ごく普通の女の子なのだ。

「ロナ、泣かないで、大丈夫だよ」

「もう生きる意味がなくなっちゃったよ」

「生きる意味なんて言わないで。ロナは私がおねえちゃんみたいに思えたから近づいてきたんでしょ。だったら妹らしく私を頼ったっていいんだよ」

「頼るだなんて、生きる意味とは違う」

「ずっと淋しかったんじゃないの。その分を取り返すんだから、十分生きる意味だよ」

私は強く抱きしめた。より体がくっつくように、強い力で包んだ。耳同士がくっついた。ロナの耳がとても熱かった。

薄暗い部屋の隅っこで、私とロナは身を寄せていた。古代魔術を酷使したせいで、休む必要が出たのだった。ただでさえ古代魔術の連発で疲れている状況で泣いたのだ、疲れない方が病気だ。

それまでならまだよいのだが、彼女が落ち着くと、いきなり術を唱えて、部屋にある家具を全て消し去ってしまったのだ。殺風景な石の壁のなかで、ロナの脚はげらげらと笑っていた。倒れるように抱きついてきて、地下で休もうと困憊した目を私に向けるのだった。ロナが人の骨がある部屋で休みたいと言いだしたので、連れてきた。骨は多分すぐ隣にある。

私が術式を唱えて作り上げた明かりが薄暗いのは、このことも理由に挙げられる。純粋に長持ちさせたいのもあるが、私は人骨の隣にいたいとは思わないから。本当は怖くて部屋から出たい。だが、ロナが甘えてくれたことだから、逃げだすなんてことはできなかった。

そのせいか、話しがしたくて仕方がない。静かにしておこうと思うのに、口は勝手に動いてしまう。よりによって、今までロナは誰かと一緒に行動したことはあるのかという、してはならない質問だった。

ロナの口は開こうとしなかったが、私の手を握ったのでまだ起きているらしかった。はじめは力がこもっていたものの、緩やかに抜けていった。

「前に、二、三度」

「ふうん、そうなんだ。やっぱり一緒に動く理由って、グアミ教がらみだったのかな」

「表向きはね。教会の関係者に近づいたこともあったけど、そのときは教皇を殺そうと言われてうんって言ったら、裏切られて。異端をみつければその分出世も近づくからね。何十年かした後に、今度は政府に。これもだめだった。これはかなり昔の話」

かなりね、とロナは私の顔をみる。微笑みを浮かべているのが辛うじて分かった。この子の薄い表情よりも私は、疲れ果てた、やつれた感じさえもある顔にばかりみつめていた。古代魔術がここまで人を痛めつけるものだとは思っていなかったのだ。グアミ教のことを考えないようにすれば、気軽に火をつけたり、明かりをともしたりするものというのが古代魔術だと思っていたが、ロナをみると、言葉通り身を削るものだと改めざるをえなかった。

ロナは、体を痛めつけてまで、私を助けてくれた。

しかしロナは今までも人に裏切られている。現に目の前でそのように話してくれた。何とかなると信じて行動を共にしても、逆に利用された。これでは人を信じないようになってしまうのではないか。

私のことを聞いてみたら、ロナは信じてよいとはじめから分かった、と囁きかけるような声を漏らした。更に理由を求めてみると、私の顔をみるのをやめたらしく、頭を壁につけたようだった。髪のこすれる音がした。

「人って不思議で、千年二千年って生きてると人の過去と未来が分かるようになるみたいなんだ。ちょっとみるだけでね。走馬灯みたいな感じ。それで、全部の未来があたしと関係ないから一緒にいるわけにもいかなくて、探してたら、おねえちゃんをみたの」

「私に未来にロナがいたってこと」

「ううん、みえなかったの。おねえちゃんにどんな将来があるか、ぜんぜん」

心にくる答えだった。普通じゃない彼女の力にはへえと素直に受け止めることができた。けれども、未来がみえないなんて言葉が飛んできたら一変、素直だった気持ちが急に固くなって、その言葉が心にめりこんで動かなくなってしまった。

私には、未来がない。納得してはならないような気もするが、納得してしまいそうな自分もいる。たぶんの親に捨てられた時点で、私の未来はない。教会に異端とされた時点で、恐らくここでの未来はない。

そうだ、教会から逃げなくては。

私が作り出した明かりが一瞬弱くなったときに、ロナが見透かすようなことを呟いた。未来がないって思ったりしたらだめだよ、と。

「あたしたちはこれから国の外に逃げるんだから。そこで体勢を立て直して、それから戻ってくるんだから。一緒に未来つくってくんだから」

「戦うつもりなんじゃ」

「そりゃ戦うよ。でも、今は戦えない。疲れちゃって」

暗がりの中からロナの手がにょっと出てきて、私の明かり玉を握りつぶしてしまった。彼女どころか、自分の手もみえない。怖くて、彼女の名前を呟く。呟いた。すると手を握ってくるものがあった。私のよりも小さくて、細い手。それでいて温か。人の手。

「長く生きてきたけど、これほど生きてることが楽しいって思えたことなかった。もっとさ、生きることって辛くて苦しいことばかりなんて感じてたけど、そういうわけじゃなさそう」

穏やかな声だった。何かをかみしめているようでもあって、その何かを抑えこんでいるようでもあった。妙に落ち着いた声だった。今彼女の顔をみることができれば、やつれた頬よりも、口元の笑みに目がゆくだろう。

ちょっとだけ寝るね、とロナが頭を私に預けた。

久しぶりの外は眩しかった。周りに人がいるような雰囲気はなかった。ロナも古代魔術的な存在を感じ取ることはなかった。街から遠い、ロナの住んでいた場所とは別の出入り口にいた。

出てきたばかりはとても明るい場所だと思ったのだが、目が単に慣れていなかっただけのようだった。ふと気付くと薄暗い森の中である。空はうっそうとした葉が邪魔で、みようと頑張ってみてようやく拝めるといったぐあいだった。地面には朽ちた葉っぱが残っており、ふかふかだった。腐葉土の分解されている匂いがする。

それでも、ロナの顔をみれば、薄暗さを忘れてしまう。目がぱっちりと開いて、眼の奥に満ちていたよどみはすっかりいなくなっていた。頬がほんのり赤みを帯びていた。

「南八十三、西六十一でいいんだよね」

「多分そのくらい」

「うん、分かった」

ロナが首の力を抜いて葉を仰いだ。肩を上げて息を吸いこみ、唇を突き出して、長く息を押し出してゆく。目をつぶって、再び肩を使って息を吸いはじめた。

私の人生が、ロナにはみえなかった。私にはこのことがやはり引っかかっていた。普通の人だと未来をみることができる。でも、みられなかった。もしみることができたら、どのようにみえていたのだろう。ロナと一緒にいる未来がみえたのか。それとも、さすらいの翻訳家として生きてゆく姿か。失敗して殺されるのか。

アグ、という声を聞いた。

<<モドル||ススム>>