にの、にの?

Since 2009

とっぷぅあばうと小説あり□ 同人誤字脱字案内メール

オリジナル作品

かみになれない

いつの間にかブログで連載中断状態だったから、気が向いたので全文掲載。
ただし、あまりクオリティのよくない作品につき注意。
2009年ぐらいの作品

連載

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
この 作品 は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 非営利 - 継承 3.0 非移植 ライセンスの下に提供されています。

部屋に戻るなり、片手に本を抱える彼女の右手を掴みながら、私は翻訳した本のことを思い出した。翻訳を終えた文学書を教会に届けなければならない。代わりに次の原書を受け取らなければ。

女の子は私の手を離れ、寝台へ足早に歩いた。静かに腰を下ろす様子が、妙に大人びてみえた。座るのは、窓際の寝台だった。腰かけて腿の上で広げる本の大きさが、動作が大人びているのとは対照的に、大きくみえた。本を持っている姿は子供だった。

「ちょっと外に行ってもいいかな」

「どうしてなの」

「教会に行って、お仕事しなくちゃいけないから」

「いつ帰ってこれる」

「なるべく早く帰るようにするよ」

「そう」

女の子の顔に影が現れたような印象だった。目がわずかに細くなって、ぴょんと跳ねていた口角もまた水平になっている。頬の筋肉の盛り上がりも薄れていた。あのときは逃げたのに、今は行こうとすることに落胆を浮かべている。

脚が屋外へ行こうとしなかった。頭の深いところがこの女の子に染まっているようだった、私の考えに抵抗している。この子のために今は傍にいてあげようよ、奥底から彼女を温めるよう指示が飛んできた。

そういえば、彼女の名前は何だろう。

私は彼女が座る寝台の隣にある寝台へ脚を進めた。寝台の角に尻を下ろし、女の子に体を向ける。わずかな期待でと不思議さで私に視線を向けてくれると思っていたのだが、現実は、向いてくれなかった。

「やっぱりやめた、まだここにいるよ」

私が発した言葉のあと、部屋が沈黙した。女の子は答えなかった。本の見返しをめくって、本の題名を眺めているようだった。髪も彼女も動かない。動きはじめた外の音。目にみえるものはいかにも高速で発見して過ぎ去ってしまう。なのに、時計が鳴らす規則的な音の繰り返しが、妙に長い間隔を置いているかのような感覚だった。

「ねえ」

思わず声をかけてしまった。読書の邪魔をされるその苛立ちはしっかりと理解しているつもりなのだが、この雰囲気に耐えられそうもなかった。声が出てしまったものだから、話すしかなかった。名前を聞いてみたけれども、返ってこなかった。

「その前に私の名前ね。私の名前は、アシーエ。アシエって、呼んでくれればいいから、ね、教えてよ」

私の嫌な反応が返ってきた。ちょうど本文用紙の、通し番号を挟むようにしていた彼女の指先が、紙をこするように一度動いた。だが、それだけだった。単に『第一章』としか書かれていない紙をなかなかめくろうとせず、反応を示そうとしていなかった。腕時計がのろく音を発し、その音を妨げるかのように、巻き上げ戸を引き上げる音が飛びこんできた。

その音までも邪魔する勢力が現れた。ぽた、という、他のそれらよりも明らかに弱い音だった。時計の音よりも短い間隔で、音の調子はばらばらに揺らいでいる。そのせいか、時計よりも際立って聞こえた。

『第一章』の字の上に、水滴が落ちる。また落ちて、一つと三分の二、間をおいて水滴が立て続けに落ちる。間をおいて、落ちる。間をとって、三つぐらい続けて落ちた。それに追従をはじめる、言葉として意味をなさない音。

この子、泣いている。読みたかった本に、涙をこぼしている。本を閉じることも忘れて、顔を下に向けながら、泣きじゃくっている。

逃げて、落胆、その次は、嗚咽。この女の子は何をしたいのか。私に何をさせたいのだろうか。どうしたらよいか、選ぶべき方向がてんで出てこない。出てくるのは語彙だけだった。

むせぶ中に、意味をとれる言葉が出てきたのはそんな状況下だった。はじめはまだ音が出てるだけで、嗚咽との区別ができなかったが、二回目、三回目と努力が繰り返されるうちに、表現として成り立ってゆく。七回目ほどで、汚い発音ながら意味を理解できる表現となった。

「ありがとう、あたしのたのみを聞いてくれて」

たかがこの子の落胆ぶりに負けただけなのに、それでこの泣きっぷりだ、意味するものがあるはずである。だけれども、分からない。私と彼女との意思疎通があまりにもできていない。そりゃあそうだ、まだ一緒にいて数分しかたっていない。

「ありがとう、おねえちゃん」

だいぶましな発音になった。

女の子の隣に腰を移して泣きっ面をなだめようとしたら、彼女は本を読む行為を止めてしまった。私の胸の中に体を預けて、肩をびくつかせている。これだけをみていれば、どこにでもいそうな幼い女の子である。だが、かたわらの心理学書に目を映してしまえば、異様な女にみえる。だが、手中の存在は子供のように泣いている。これは事実だった。

なるべく丸い調子の声をかけた。落ち着いた、と彼女の頭をなでながらである。彼女の声で私の声は届いていないかもしれないが、それでも言葉にしなくてはならない気がした。何度も呼びかけなければ、彼女は閉じてしまうと、何となく感じた。

「大丈夫だから、ね、大丈夫だから」

弱い頷きを返してくれる。荒く、ひきつった息を私の胸にかけてくる。乳房にかかる風はほくほくと温かく、けれど湿っぽかった。彼女が息を大きく吸い、ぴくぴくする呼気を押さえつけるように、ゆっくりと吐き出してゆく。大量に冷たい空気を取りこみつつ、その冷気で横隔膜と心とを落ち着かせるらしい。

四回を数えた頃には、だいぶ息の揺らぎは消えていた。彼女は額を、私の胸がつぶれるほどに埋め、息がぶつかる場所がいつしかみぞおちに移っていた。

「ありがとうね、ほんとうに、あたしの、あたしのおねがい聞いてくれて」

「うん、でも、どうしてそこまで」

「みんな、私の言うことはぜんぜん聞かないのに、あたしにはあれやれぇこれやれぇってうるさいの」

「家族がそんなことをいうの」

「家族じゃないよ、いろんな人から」

「いろんな人」

「うん、いろんな、知らない人からも頼まれるんだ」

彼女は腹に向かって声を投げている。その声には悲しさを見極めることはできない。クセがない上に甘ったるい、しかし鋭くない声だ。胸にちくちくと刺さらず、水のように吸収されてゆく。

だが言葉だけをとれば問題だ。知らない人からの頼まれごととは、何事か。頼まれごととは何を指し示しているのか。

脳裏に過去が思い浮かぶ。はじめは痛みに耐えて、次第に屈辱心、慣れてしまって何も感じなくなっていった時代。生きる金のために、男にも女にも抱かれた、私の売春の経験が湧き上がってくる。

もしかして彼女も児童売春に頼っている、という第六感が働いた。彼女が逃げたのも、くさい男と相手をするための待ち合わせがあったからなのではないだろうか。そして今は約束がないから、私のもとにやってきたという経緯を推測できる。

私なら、今、彼女に何かできる。どうにかして、彼女を普通の生活に戻してあげられる方法はないものか。

私の背中が一瞬、びっくんとこわばった。目の前の風景が変わった気がする。いや、戻ったのか。私の姿と彼女がごちゃ混ぜになっていたのか。

「ねえ、おねえちゃん、おねえちゃん」

「うん、あ、ごめん、何かな」

「急にだんまりしちゃったから、びっくりしちゃって」

「ちょっとね、考え事しちゃった」

私には、彼女が何を考えているのか、さっぱり分からない。素性の分からないような少女に肩を入れている私に対しても、何をしたいのかが分からなかった。

「あたしの名前ね、ブーロナス、っていうんだ」

「ブーロナスかあ、なら、ロナって呼んでもいいかな」

「うん」

ロナが顔に宿す満面の笑みが、なんだか、内に秘める何かをかたくなに隠し通そうとしていて、それが私の過去と似通っているような、勝手な気持ちがあった。

ロナは疲れたのか、気付いたときには私の中で眠っていた。静かに寝台に寝かせてから、ようやく私は翻訳を脇に抱えて部屋を出た。陽が見事なまでに上った時分だった。

外に出て久しぶりの陽を浴びながらも、しかしその温かさに目を向けるわけでもなく、人ごみでもなく、次の原書に対する妄想もしなかった。頭の中でロナがぐるぐる走り回っている。逃げまどっていると表現するのが適切かもしれない。

まず分からないのが、彼女に依頼をしてくる存在である。それが教師のような存在を指し示していて、教師が出す指示のことを頼まれごととして私に言っているならば問題はない。だが、他の可能性だったら。やはり私には、その可能性が悪いものだと感じざるを得ない。ものを盗むような命令かもしれないし、代理殺人をさせられているかもしれない。性的な行為をさせられているのではないか。

ああどうしようと思い悩んでいたら、既に大教会の横を通り過ぎていた。そのまま考え事を膨らませていたら、町を抜けてしまうところだった。

中に入り、一直線に教師がいる場所へ向かう。三人いる教師の一人に翻訳のことを話すと、教師長の部屋に案内された。今後は教師長室に直接、と一言つけてきた。

まれにみるほどの質素な教師長室に、彼が座っていた。何か書きものをしているようだった。

「少々時間をかけてしまいましたが、二冊目の翻訳を完了しました。こちらが原書と翻訳になります」

「うぬ、こちらに置いてください。では、この書物はどんな内容だったのですか」

「敬虔なグアミ教との青年と、悪魔との物語です」

「青年と、悪魔、ですか」

長の低く重たい声に、心臓が凍ったような気分だった。単に悪魔と青年の物語となれば、異端文学と取られてしまう。この物語を残すためには、上手く言葉を使って、異端ではないようそれを示さなければならない。それに、この教師長が敏感な人間であれば、私にも飛び火するかもしれない。私が異端扱いされることが一番困る。

「はい、恐らく、グアミ教徒に対する一種の注意を促すような物語だと私は」

「なるほど、もしかしたら、過去のグアミ教をとりまく状況が分かるかもしれませんね」

教師長は私に向かって微笑を流すと、書きものの一番下に文字を記した。席を立つことなく、書庫のいつもの場所に翻訳してほしいものは積んである、と告げた。机の上にあるものは勝手にいくつでも持っていってよい、と加えた。

闇の書架の机上に積まれている本は、いくらか増えていた。本来なら二冊あるはずなのだが、最初からそこに建っていた二冊の重なりと、ほぼ同じ高さの塔がもう一つできていた。暗い明かりでみてみると、全部で四つの書物があることは理解できるのだが、どれがはじめに頼まれたものだかが判別できなかった。

追加注文と解釈してよいだろう。これほど暗い書架ならば、どこが整理できていてどこが整理できていないかはなかなか把握しづらい。翻訳して、その際に報酬のつり上げをやればよい。今からつり上げをやるのも手段だが、しかし、ここから教師長室までは少しばかり遠い。このまま既成事実にして報酬の増額以外の選択をなくしてしまおう。置いておいたのは向こうの責任、翻訳してしまえば私の勝ちだ。

二つの塔の最上に置いてある本を二冊抱きしめて、部屋に帰ってきた。部屋ではロナが相変わらずの寝息を立てている。部屋を抜け出したときには仰向けだったのだが、今では窓の方向を向いている。彼女の寝相が、ほほえましくみえた。

彼女を真後ろにする形で、私は作業にとりかかった。重厚な革表紙を開けて、数世紀ぐらいの眠りからたたき起こす。最初にしなければならないのは使用言語の把握だ。これがしっかりできなければ全ておじゃんだ。

文字はどうやら現在の表音文字体系に類似するものを用いているらしい。この点でもうマトロウィリホルが使用言語でないことが分かる。残るものは、古ムクアリア語、第一クルナシア語のいずれかだ。

文字で分からなければ文法や単語。見返しやとびらをすり抜けて、本文のはじめに到達する。文章の先頭を切る語は『E shtoin』だった。第一クルナシア語では町を意味する可算名詞だ。古ムクアリア語における発音体系上存在しえない文字羅列。

第一クルナシア語となると、この本は恐らく四百年ぐらい前の首都辺りのものだろう。おおよそ八百年前から三百年前の間が第一クルナシア語使用時期で、この書籍の補強金具が四百年前後の様式を持っていることを考えればそのあたりが妥当だ。歴史的観点からすれば、当時、この言語を使う国家は戦争の時代に巻きこまれていた。領地を現在の首都に迫るほどまで奪われていたという歴史がある。そう考えると、つくられた場所を絞ることができる。

町は悲しかった。もしくは、町は泣いた。雰囲気としては泣いたがよいかもしれない、そのようなはじまりの文章だった。静かな町の姿が描かれていて、歴史的な出来事と重ねてみると、終戦の傷を引きずっているような印象がある。

冒頭の描写もまた重苦しいものだった。言葉づかいも難解だった。ちょっと言語をかじったぐらいの人間では、まず単語を掬いあげるだけでもあっぷあっぷといったところに違いない。

だが、奇妙だ。宗教書にしては文章が気持ちが強く出すぎているし、宗教関連でないのならば、その手の専門用語は頻出するとしても、語彙は確かに古めかしいが、宗教書よりも文法が比較的理解しやすいようになっている。語彙は小難しく言葉は難解、今のところ宗教用語の出現はない。十行目の読破に至っても、奇妙さは全く破れない。

翻訳を進めるものの、妙ちくりんさが失われない。文学にしては難解すぎて、宗教書にしては文学的な描写や心情表現がある。哲学を述べているのかと山を踏んでみたものの、哲学書籍とは読んでいる感覚が違う。とにかく内容の濃いものであるのは確かだ。

凝った肩に上から下への力が落ちてきた。心地よさが一瞬、しみこんでゆくかのように分散した。手を止めて振り向くと、肩越しにロナの顔をみつけた。

「起きたんだ」

「何やってるの」

「お仕事。もともとある本の内容を、別の言葉に書き換えてるの」

「あたしが頼んだことと同じ」

そうだね、口から言葉を流しつつ、体もなるべく彼女を向くよう座りなおした。彼女の服にはっきりと縦じわが一本、脇腹の近くを走っている。口元に視線を上げると、右側の口角に鈍く輝くものがあった。ぬめぬめとした光は、よだれか。

気になっていながら、話をしていない話題があるのを思い出した。

「ねえ、どうして私のところにいたいって言ったのか、教えてくれないかな」

最初は逃げたのに、その翌日にはべったりとくっついてくる。この変化を話す時宜が今までなかった。来ると言われたときには、この子の秘密をみつけ出そうともくろむばかりで、教会に行くと告げたときも、彼女の落ちこみ方の激しさに思わず意識を集中させられた。どうしてここに来たのか。これほど基本的な問いかけはないのではないだろうか。

彼女は視線を私から逸らして、下唇をわずかに突き出した。口全体を尖らせた。

「じゃまなんだ」

「邪魔なんかじゃないよ、たださ、その前の夜は、走っていっちゃったから、気になって」

「それは、ちょっと怖くなって」

「怖くなってって、どうして」

「あの教会の人間だと思ったから」

「大教会の」

ロナは落ちるような頷きをして、すぐさま顔を上げた。目をまん丸に開けて私をみている、彼女のその表情は、口を尖らせたときよりも表情筋がひきつっているような感じだった。口をあけながらも口角を引っ張って、ひくついているという、緊迫した動きだった。

「だって、あんな宗教だよ、連れて行かれたくないもん、神グアミじゃなくて教皇を信仰してるんだもの」

「そんな大声で言ったらだめだよ、外に聞こえちゃう」

「だからおねえちゃんが大教会に行くって言ったときも、もう帰ってこなんじゃないかって思っちゃって」

「そんなことないよ」

「おねえちゃん、古代魔術使えるでしょ。そんなことが知れたら、教会に何されるか分からないんだよ」

私の表情筋が音を立てて硬くなった気がした。あまりにも唐突すぎて、体も心も追いつけない。私はいつ彼女に魔術が使えると告白したのだ。命を失うような情報を打ち明けるほど、彼女との間に親密となるほどの時間があったのか。

この町に来て一度だけ、魔術を使ったことは認めるしかない。しかし、この部屋は二階で、人の形跡がないことを確認した上での施術だった。魔術を目でみることはできないはずだ。目でみる以外に魔術をみつけるためには、魔術を施した時に生まれる、周りへのわずかな影響を感じ取るしかないと、外国の研究機関からの依頼で翻訳した古文書にあった。私自身が発生させた際の影響は確かに知ることができる。しかし、他者となると、ぜんぜん分からない。そもそも、他者の施術に立ち会ったことがない。

「どうして、そのこと」

「分かるもん、みれば分かるもん」

「分かるって、どうやって」

「どう言えば分からないけど、とにかく分かるの」

ロナは調子を荒くして言葉を投げつけてきた。両手を握りこぶしにして、腕を反れるほどに伸ばしている。眉間が波打ち、上半身が言葉の勢いのまま前傾している。音が弱いのに、口調とみかけは非常に激しかった。

彼女は言葉を消した。窓の方角に顔を向けて、何も喋ろうとしなかった。口がほんのちょっとだけ開いていた。突如として静まりかえった部屋。私が尋ねて彼女が答えない、以前あった形とは異なる空白。私とこの子との間に、紫色をした未曾有の闇がたちこめている。

二歩、後退りした。頭を垂れて、両手を前方にささげた。

「Alagwitt amelisarzel omfheone, astgaltoneR amelisarzel」

ロナの姿が一瞬だけ歪んでみえた。びっくりしてあたりを見回すと、部屋中がひどい具合に歪んでいた。どこに何があるという問題ではもはやなく、どれが扉なのか、どれが窓なのか、どれが部屋たるものなのかの区別がつかないほどだった。その中で、ロナの姿がしっかりと形を保っていた。けれども、彼女の薄い服はぐちゃぐちゃになっていた。

彼女は、私と同じだ。第三クルナシア語の魔術詠唱が使える、古代魔術能力保持者だ。ロナが口にした言葉は間違いなく第三だ。音の律は魔術詠唱のものだ。

ロナの手の上に、ガラス玉大ほどの白いものが現れる。手の上数インチを浮遊している。それがまたたく間にまぶしい輝きとなる。刹那には私に迫るほど膨らんだ。ガラス玉から人の頭、それを超えて大きくなってゆく。人の胴体をも超える。天井であろうものぎりぎりまで膨張し、その動きを止めた。

光り輝く、巨大な物体。何もなかったところから出現した。

『amelisarzel』という言葉を二度も使用しているにもかかわらず、この大きさである。『とても小さく』するよう、それもより『とても小さく』させるように指示しているはずなのに、この大きさだ。二度も使っているのに。彼女の能力は恐ろしいほどに高い。すさまじい力。

視界の歪みが落ち着いてくる。部屋が通常通りへと戻ってゆくにつれて、物体の歪みも矯正されていった。『Alagwitt』の時点で球体が出現するということは分かっていた。しかし、美しくも巨大な実物を目の当たりにすると、私が知っている『Alagwitt』とはまったく異なる言葉ではないかと疑い、間をおかずに自身を否定して、確信するに至ってしまった。私のAlagwittと彼女のAlagwittは別物だ。

神聖な光を発する球体が破れた。しゃぼん玉が静かに消えゆく瞬間であるかように裂けてゆくだけで、耳を襲う断末魔の声はなかった。断末魔は破けた箇所から飛び出してきた。球の中に凝縮されていた光が破損部分からはじけ出たのである。またもや部屋がうねった。球体も球と定義することができないいびつなものへと変化し、小さくなってゆく。連動してまぶしさが増してくる。あまりにもまぶしかったので、目をつぶって顔を逸らした。眼を外界から切り離したにもかかわらず、瞼を通り抜けて、強い攻撃が襲いかかってくる。

瞼越しに感じる刺激がなくなった。眼を開けると、ロナだけが立っていた。空間の歪みも、光る球体も、存在しない。ささげていた両手を自身の元に引き寄せて、上半身を起こした彼女がいるだけの様子に戻った。

「ちょっと、寝るね」

彼女はいつもよりも事務的な調子で言葉し、寝台へ動きはじめた。

彼女の声が、どうしてか、子供の言葉ではありえないと思えるほどの重い圧力を持っているような印象に変わった。たかが寝るよと教えてきただけなのに、言葉に強烈な力がみなぎっているような、身構えなくてはならないと感じさせるような、大人を戸惑わせるほどの大人よりも大きな圧がある。彼女の言葉には、第三クルナシア語による古代魔術詠唱でなくとも、魔術的な力が宿っているのだろうか。

ちょっとした恐怖感を紛らわそうと、本業に逃げた。奇妙書を視線だけで燃やしてしまうような眼を注いで、埋没した。歌に走っても良かったにもかかわらず、どういうわけか、この子を置いて酒場にゆくことは、私の深いところが許さなかった。

逃避のための相手としてこの奇妙書があることはよかったのかもしれない。宗教書的観点および散文的観点の両点からして、へんてこな文体と内容が、私を怯えから引きずり出してくれた。

中盤の章を激走し、本文の厚さから終盤にさしかかりつつあることが分かった時、次の章に入った。読んだ途端、文に違和感が漂う。

表現がずれている。文の中に含まれている意味合いの細かな差はもちろん、第一クルナシア語としては全くおかしい使われ方をしている表現や文法が、見開きの中に見受けられるようになったのだ。初歩的な誤りもある。知的な筆から幼稚な色鉛筆に変わってしまったようだった。

今みている見開きに手を挟みこんで、内表紙を確認する。明日の日付という題号の下にある著者名には、一人の名しか記されていない。一人の人間によって書かれているはずなのだ。それよりもまず、基本文法を理解していないような人間が本を書くことなぞあり得ない。

まさか私に失点があるのか。自身を疑ってもう一度読み直してみるが、第一クルナシア語としては、やはりおかしい。この表現は、第一クルナシア語では使わないはずだ。この表現、第三クルナシア語であれば使えるのだが。

頭から重い汚水が滞りなく流れてゆく感覚だった。第一クルナシア語では不適切だが、第三クルナシア語であれば確かに正しい使い方である。第三クルナシア語、か。第三クルナシア語を第一クルナシア語と解釈していたのだから、当然変な文章に思えるわけだ。

今の翻訳を記した紙を手に持って、一気に握りつぶした。自身で記した文字を殺して、ごみ箱に投げる。入ったかどうかは知らない。体と頭脳は、既に翻訳しなおすことだけを考えていた。

ふと一瞬、大きな光球が頭の中を照らした。

次の瞬間には、第三ラナシリア語の通常文法が並んでいる。

彼女の攻撃から逃げているのだ。私は知った。これほど翻訳に必死なのは、早く報酬を得るためでも、歌を収集する時間を確保するためでもない。ロナからできるだけ離れようとしている。恐ろしいほど大きくてこうごうしいあの球が、彼女の驚異的な能力を指し示している。あれほど幼い外見に、私を超えるものが潜んでいるのだ。頭の中で、彼女の光る球を投げようとしている姿がある。私はそれから逃げている。

翻訳。

この単語はあの意味で、こっちの熟語はこの単語とほぼ同じ意味合いで、この文章の構造は形式主語を持つ関係副詞を持つ重文で。

Tlanzear.

主人公がこう動くからこの表現ではこの言葉づかいが適切で、この風景描写はこうやって翻訳するときれいで、かつ印象的で。

次の古書の翻訳。

O^lan[se]^cho.

翻訳を終えた。そのとき、視界に明るいものが走りこんできていることに気づいた。左目のみている世界が妙に白金である。両目に若干の痛みを感じるが、白をより感じている左目が右よりも痛む。瞼で刺激をできるだけなくしながら、顔を左に向けた。

ありもしない背中の体毛が、ぐあさぐあさと逆立ってゆく気持ちだった。痛い太陽の姿をみたとたんに、ロナの球体が私に襲いかかってきた。ロナのが両目に刺さってくる。重低音で何かのうごめく音が鼓膜を揺さぶってくる。目をつぶって、顔を反対側だろう方向に逸らした。体ごと、尻を回転軸にして。重低音の音量が大小に幾度もぐらついた。

痛みが引いた。瞼から力を抜いてゆくと、たちまち重低音のうなりは弱まって、消滅した。下から、瞼と景色との境界線がみられるぐらいに、のろのろと開け放つ。床が朝日でくすみを失っていた。

「疲れた」

そういえば、今まで喋っていない。久しい口走りだった。

なかなかひと夜にして二冊の翻訳を完了させることはない。よっぽどの体力を使ったのか、右腕がだるい。手は少し痛い。目の奥も痛い。人差し指の腹には蒼い墨がついている。

足元を見下ろした。私の字が記されている紙が落ちていないかどうかを確認するが、紙は落ちていなかった。今回はちゃんと整理しながら作業を進めていたらしい。改めて机に視線を送ってみると、二つの建物が隅っこにそびえていた。

立ち上がった。関節に硬さを覚えるものの、思った瞬間には解消された。思い返してみれば、十時間以上は座ったままだったのだから、節々がかたくなってしまうのは仕方がない。だが、倦怠感が全身を覆っていることに驚かされた。それほど体力を奪われる本だったのかと感心しながらも、納得した。

両方とも、どういうわけか、はじめは第一ラナシリア語で書かれていて、いつしか第三ラナシリア語にすり変わっていた。二書を比べてようやくいえることだが、第一クルナシア語の部分は、読みづらくなっていて、第三クルナシア語の部分は、素晴らしいと称すべきほどの表現豊かさを抱えていた。だが、一番の問題は内容である。第三クルナシア語で記述されている部分は、主題に強烈なほどの政治性を感じた。肯定ではなく、否定。描写の表現豊かさの裏に、激しい政治への反発をかいまみることができるのだ。もしかしたら、これが禁書と呼ばれる書物なのかもしれない。

単に政治に対することを考えれば、宗教の手にある限りは禁書とならないかもしれない。しかし、この本が刊行された当時、政治と宗教がくっついていたとしたら、政治となる。果たしてどちらか。刊行年代推測をするにも、第一ラナシリア語と第三ラナシリア語が混合していた時代があることを聞いた覚えはないし、歴史書に記述をみたことはない。言語史に絞った歴史書など、昔は存在しない。もっぱら政治史ばかりだ。

内容には問題があり、この本の存在自体に疑問がある。どう教会側に説明すべきかが分からない。きっと教会は第三ラナシリア語という言葉が出てきた時点でいい顔をしないだろうから、この言葉は出すべきではない。となると、無難に興味深い本としておくべきか。

ロナの姿をみやった。うつぶせになって、足や手を動かす様子はない。私が教会に行っている間に起きてしまったりはしないと思うが、もしかしたら、という場合がある。置き手紙はしておいたほうがよいか。

アデュマ・マトロウィリホルにて手紙をしたためてから、提出すべきもの全てを持って教会に向かっている。ロナは起きてしまっているだろうか。ちゃんと手紙に目を通して、大人しくしていてくれるだろうか。扉の鍵は閉まっていても、彼女にはまったく意味をなさないような気がしてならない。だが、鍵は閉まっているから意味はあるか。そもそも扉が意味をなすかどうかが分からない。ああ、久しぶりに疲れた。考えること全てが全てどうでよいことに思えてきた。

やはり疲れがたまっている。考えていることの引き出しが、常に一歩ほど遠い。その手前半歩に、私の体がある。いろんなものが霧の中だ。何というか、その、えと、まあ、みえている世界がなぜだか変だ。左十度くらい傾いているようにみえる。

教会の前に着いたものの、別の教会に来てしまったのかと勘違いするほどに、時間の流れが長く感じられた。頭がぼうっとしているのだろう、だから普通の道もまともに移動できない。部屋に戻ったらいったん寝ておこうと予定を組んで、教師長の許へと向かった。

向かうのは良いのだが、妙に時間がかかった。右手で書籍を抱えて、左手は壁に這わせる。壁をみた瞬間に体がその方向へと向かってしまい、左腕を体の支えとして教会内を歩んでいったのだ。

時間がかかったように思えたが、いつしか教師長室の前だった。さっきまでは時間がかかると感じていたのにも関わらず、あっという間に目的地、という気分だ。私の体内時計のような、尺の感覚さえもまどろんでいるようだった。

戸を叩いてから中に入ると、やはり教師がどっしりとした机に座って、書きものをしていた。重厚にして整然とした部屋が、私に視界には浮ついた空間として現れた。教師長は筆を置いて、顔を上げた。目が合う。幸薄そうに笑みを浮かべる。

「翻訳、終わりましたか」

「こちらの二冊を終えました。残り二冊なので、じきに終わります」

「そうですか、すみませんね、追加をしてしまって」

「その分、報酬はその分引き上げということで」

「ええもちろんですよ」

出すべきものを出し終えたら、すぐに帰りたくなった。そそくさと動けば説明をする余裕もできないし、なにより、数秒でも長く寝られる。鈍い太ももに鞭打って扉へと歩いていった。

あのちょっといいですか、と教師の声が太ももを止めた。できれば早く次の作業に移りたいと言葉を返しても、すぐ終わりますから、と筋肉を縛りつけた。間を置かずして、この教会の規模について質問された。

「こんな田舎の町に、変だとか思いませんでしたか」

頭の中を、きんきんに冷えた風がそよいだ。私の白濁した思考が鮮明になりつつある。文化的に田舎である町に大教会が存在することは、確かにみたことのない環境である。大教会があるとなれば、それは町が都市となる基準であり、大教会をまとめる水教会への繰り上げを目指す思惑の温床となる。にもかかわらず、この町が持つのは田舎の風景だった。

教師長に振り返った。

「ちょっとは気になりましたけど」

冷風が少し強すぎるような気がする。頭が働きだしたかと思うと、嫌な予感までも冷たさで刺激するのだ。教会は受け入れることはしても、自ら求めることはしない。それは問いかけも同じであるはず。こちらから問いかけることはあっても、あっちから問いかけてくることなど。

「ここ、どこにもあるような大教会じゃないんですよね」

「大教会じゃない、というと、大教会をまとめる水教会ですか。それとも、教会とは本当は言えないんですか」

「そういうことではないです。ただ、特別なんですよ」

特別、と自身の口で紡ぎだした途端、冷風が強まった気がした。冷風が第六感どころか、不安心までもたたき起こす。一体どのあたりが特別だ。他の大教会とはどこが違う。その特別なことが私にどのように関わってくるとはなぜだ。情報が少なくて、分からない。

寒風が強風になって、吹雪のテイををなしてきた。特別な何かが分からなければ、逆算をしてみればよい。しかし逆算をしてしまえば、思わぬところに行きつく気がする。いや、逆算をしてしまえば、行き着く結果は分かっている。だが、それを認めてしまえば私は殺される。異端の烙印を押されて、死ぬことになる。もし死ななくても、幼少にしていた生活に戻らなくてはならなくなるだろう。上手く国外に出られれば話は別だが。

一歩後退りして、背中に隠しつつ扉の取っ手を掴んだ。

「今ここで逃げだせば、外には制裁者の役目を請け負う教師が待ち伏せてます」

「ちょっと、疲れてるんですよ。できれば早く返していただきたいのですが」

「いや、あなたが持つ力は『神のまねごと』さえもできない程度だから問題はないんです、せいぜいろうそく程度ですから」

私ではない。もはや選択肢は存在しない。制裁のための、異端をみつけ出すことを主たる役目を負うこの大教会は、ロナの存在を把握している。

施術の瞬間に発生した大きなひずみを思い出した。部屋中をぐちゃぐちゃにしたあれが屋外にも影響を及ぼしていたのだと、はじめて知った。驚くべきことでもあるが、私の暖さえも見抜かれていたということは更に驚きだった。

驚きに浸っている場合ではない。大教会の牙がどちらに向かおうと、命の危険がある。それがロナに向かっているなんて。まだ小さい子供なのに、なんという仕打ちだ。古代魔術ができる程度で、確かに彼女の能力は強大だけれども、異端だとみなすのは異常にしか思えない。とは考えるものの、所詮は私の思いだ。私がどう異端ではないと考えたとしても、古代魔術は神の力であって人が使うものではない、偶然にも使える人間が出現して、その人が使ったならばそれは神に対する冒涜だ、と断じるのがグアミ教の思想なのは重々理解している。

「ただ、こうやって翻訳の成果を上げてもらっていますし、なにより教皇のもとで翻訳作業をしたという実績があります。今後を考えれば、我々は厳重注意で済ませようと考えてます」

「厳重注意ですか」

「あなた方がグアミ教徒であるという確信がありませんからね。ですが、ここは制裁者の大教会です。この町の中で神のまねごとをすることは、教徒いかんでなく異端として処罰します。次はありませんよ、あなたのまねごともどきでも」

部屋にいた。腕の中に二冊の古書を抱えている。帰ってきた時間帯や、帰りの道筋など、一切を覚えていなかった。気付いたときには、目の前でロナが私を見上げていた。ロナもまた、本を抱えていた。

「おねえちゃん、おねえちゃん」

耳の音量が徐々に上がってゆく。呼ぶ声が聞こえる。音量は適切となるものの、音質がかなり悪い。鼓膜の動きを感じ取る能力が鈍ってしまっているみたいだ。耳だけではなく、頭を支える首も動こうとしてくれない。本を抱きしめている腕に至っては、力が入っているという感覚が薄かった。

「おねえちゃん、大丈夫なの」

「うん、ちょっと眠たいだけ。少し寝れば大丈夫」

「それなら、いいんだけど」

体の重心がわずかにずれた。お尻にはやわらかい感覚が残る。その期に及んでようやく、私は寝台の上に腰掛けていることを知った。体重の偏りがぶれる度に瞼が下りてこようとする。必死に瞼と格闘する。

ロナが手を、私の手に重ねてきた。長い間氷にまとわれていたかのように冷たく、意識が一気に鮮明となる。

「一緒に寝てもいい」

「どうして」

「何となく。それに、お話ししたいし」

「ちょっと待って」

一度浅く座りなおして、それから立ち上がった。脚で立つことも倦怠感のせいか、つらい。腿が座るよう、究極には横になるよう抵抗した。背中の筋肉も、同様のことを言い張った。二の腕におもりをつけているかのようだ。しかもそのおもりは、重すぎも軽すぎもしない。気持ち悪さの残る感覚である。

原書を机に置いてから横になり、敷布にくるまると、ロナは隙間からもぐりこんできた。彼女の靴が上に飛び上がって、床に墜落する。私の横をもぞもぞと進み、隣に顔をのぞかせた。視線が重なるなり、にこっとしてきた。

「ねえ、あの教会に何か言われたりしなかったよね」

この子はどうして、これほどまでに教会を嫌っているのか分からない。再来した考えがまず出てきたが、あっという間に押し出されて、彼女に対してどう答えを繕おうかという問いかけが支配した。教会に目をつけられたことも怖いが、教会嫌いのロナがそれを聞いて苛立ちを募らせることがもっと恐ろしい。彼女が乗りこんだりでもしたら、きっと教会に殺される。

「うん、ちょっとだけ」

「それっておねえちゃんの仕事に関係する話」

「そんなところかな」

うそ、と音がした。でしょ、と尻上がりの音が口から漏れる。

頭の慄きが、果てを通り越えて、良く分からない領域まで弾き飛ばされていった。更地になったところに新たな恐怖心が生えてゆく。体中が敏感になったようで、上は後頭部から下は小指まで、皮膚がうねった。息することを忘れるほどの身震いだった。

「本当におねえちゃんの力って弱いんだね。普通なら分かるんだよ、みただけで使えるかどうか」

「それ知っててどうして、あんな術を」

「おねえちゃんに分かってもらいたかった、ていうのが一つ。もう一つは、教会に対する反抗の意味」

寝ようとしているのにもかかわらず、なんだか頭が冴えてしまうようなことをしてしまっている。だからといって、簡単に見逃せるものではない。教会に対する抗議は理解が容易だけれども、分かってほしいもの、とはどれか、考えなければならないように思えた。

考えよう考えようと思考を働かせようとするが、やはり睡眠を欲している頭だ、視界がとても狭い。どうもがけども、答えに近づくことも、答えが近づいてくることもなかった。だからロナに返す言葉を生みだせなかった。彼女の目から視線をはがして、白い枕に落とすことだけしかできなかった。今の頭じゃ無理だ、と告げると、ロナの息が首許にふわりとまとわりつく。長くて細い息だった。

「魔術が使える人を教会は捕まえようとするけど、その教会だって、魔術が使える人を使って捕まえてるってことだよ。さっき言ったでしょ、能力がある人にはすぐに分かるって。おかしいでしょ。魔術を人が使っちゃいけないって教えてるのに、その教会が魔術者を持ってるんだよ」

ぼんやりとした世界の中で、ちょっびり納得がいった。霧を超えた白い色あいが、納得をちょっぴり程度で抑えこんでしまっているに違いない。はっきりとした意識の中であれば、無条件に、なるほど、と頷いていたかもしれない。

その抑制の隙間から、彼女に告げなくてはならない言葉が浮かんだ。私の体が限界に達している。今言ってしまわなければ、それはもう深い淵に落ちてしまうという状況だった。

「ロナ、もう、ここで術を使わないで」

自身の声までもがにじんでしまっていた。だいぶこもった声である。これ以上耐えようとすれば精神的に危なくなりそうなほど、声らしい音節が消え去っているように聞こえた。

「破っちゃうよ」

「お願いだから、そうしないと、私たち、死んじゃう」

「死なせないよ、私がぜったいに。だから安心して」

<<モドル||ススム>>