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前回なんてなかった。
ばとねアンソロのお話第2弾。
「ばとねのかたまり2」所収。
リミュレたちの話ではなく、理恵や鈴藤由姉妹のほうのお話。
2011年作品
原著作者=木下英一
ばとね!
可憐はちょうど学校と商店街の間の住宅街に住んでいた。商店街と学校とを一直線に結ぶ道から少し外れたところに二階建て、レンガの茶色い塀が可憐の家の目印だった。
可憐がいなくなってから、理恵たちは必ずその家の前を通ることにしていた。学校と同じように、可憐の家にもまた可憐の面影があるのである。ただ、今は別の人が住んでいるようだ。ときどき理恵や美由紀たちの知っている顔が出入りしているのを目にしたことがあるから、全く関係のない人が住んでいるようではなかったけれども。
一行は茶色の壁を前に一直線に並んで、家を見上げた。どの窓もカーテンが閉められていて、中の様子が分からなかったけれども、可憐の部屋がどこにあったのかははっきりと覚えていた。二階の右側の窓ガラス、今はベージュのカーテンの向こう側が可憐の部屋だった。
可憐、と美由紀がつぶやく。
「かれんとはじめて会ったのは、中学のころだったなあ、話していたら馬が合って、それからはことあるごとに遊んでたなあ、ケンカもしたけれど、高校も一緒になってさ」
「そうだよね、みゆはかれんとおな中だからね」
「たぶんね、去年の今頃は、同じ大学に行くのかもね、って話をしてるんだろうなって、よく思うんだ。ここに入ったときも、かれんの口からここの名前が出たときに、やっぱり同じだ、って思ってたから」
「みゆとかれんはどういうわけか意見が一緒だったもんね、おもしろいぐらいに」
「おかげで成績も似たり寄ったりだった」
いつになったら帰ってくるんだろう、とスウイがポツンと口にした。スウイは可憐の家を全く見ようとはしないで、ずっと下を、白い塀と道路との境界線を見下ろしていた。
「かれん、どこにいるんだろう。あの洞窟、どこかに繋がってたのかな。だとしたら、どこで今生きてるんだろう」
「やめなさいすう、かれんは生きてるの」
「だったら姉さん、どうしてかれんは帰ってこないの? 二年以上も経ってるのに、おかしいよ。どうして私たちのところに戻ってこないの? ずっと帰ってきてないってことは、やっぱり、もう――」
「すう!」
はっとして右側の美由紀に目を向ければ、まさにそのとき泣き崩れるさなかにあった。足の力を失って、上から押しつぶさんとする重力に負けて、アスファルトに叩きつけられた。バックも落ちて、中から卒業証書が飛び出し、ころころと転がってレンガの壁で止まった。美由紀は地面に横向きに倒れてワンワン泣きじゃくった。手首を目に押し付けるようにして、脚も曲げてすっかり体を縮こまらせて、あたかも身を絞って涙を出しているかのようだった。
理恵が美由紀を介抱している間に、美由紀の涙がうつったか、スウイもしゃっくりのような引きつった声を漏らしながらも涙を手でぬぐいはじめた。そんなスウイを抱き寄せて背中をたたくテイルも複雑な表情をしていて、真里香は眼鏡越しの目を潤ませていた。
唯一冷静を装っている理恵だって、なにも感じていないわけではない。理恵は生き埋めになって顔だけしか見えていない可憐の最期を見た、数少ない一人である。友人に死に際を目にして平然としていられる人がいるものか。ただ、ひとつの救いを知っているからこそ、冷静にふるまえるのだった。
とはいえ、周りの悲嘆にくれる様に囲まれて、理恵もこの状況をどうやれば取り繕えるのか分かっていなかった。なにせ、知っているのは理恵だけで、けれども知っていることを教えてしまえばそれは可憐に迷惑になるのだから。
あの、私の家の前で、なにを――
同じ学校の制服を着た、金髪の女の子が立っていた。
鈴藤由姉妹とはどうやら面識があるようだった。とはいえ姉妹がなにか口にしたというわけではない、二人はただ見ていただけで、ではどうして理恵にはそれが分かったかというと、二人を見た金髪の子がさっと一歩後ずさりしたからだった。以前になにかをやらかして、トラウマでも植えつけたに違いない。
あの奇妙な光景を説明できるのは理恵しかいなかった。今は行方不明になっている友人の住んでいた家がここだった、現住人に対して言うのもはばかれるような事柄だったけれども、あっけらかんと口にした。そんな理恵の振る舞いは一見すれば、阿鼻叫喚の四人の中にいてテンパってしまったかのようだった。
けれども、一番の奇妙な振る舞いは、金髪の子の言葉だった。あの、でしたら、中に入りますか?
冷静に考えてみよう。さて家に帰ったら、門の前で同じ制服を着た女が、一人は道路に倒れて泣きじゃくって、ウサ耳カチューシャをつけた一人はもう一人のウサ耳のカチューシャをつけた瓜二つの子に抱きしめられていて、その中で猫耳のカチューシャを身につけた人が倒れている人を介抱している――日常とはすっかりかけ離れた状況、それを前にして平然としているとはいったいどれだけの肝の据わりようか!
家の中にお邪魔すると、目の前に広がるのは見覚えのある空間だった。広々とした玄関で、左手側に階段とドアがいくつか。一輪挿しとか絵とかいった、目を楽しませるものは一切ない、ほこりひとつもない、そういったところも理恵たちの記憶には違わなかった。
部屋に通されて、お茶まで出してくれるというサービスぶりに理恵は戸惑いながらも礼を返した。はて、可憐はこんなことをしただろうか? たったお茶を出してくれただけだけれども、それがなんだか意外に思えたのだった。
美由紀は理恵の隣に座っていた。泣きまくってはいないけれども、何度も鼻をすすってハンカチを鼻に当てていた。テイルは目を赤くしている妹をしきりに気にかけながらも、金髪女の子の動きにも目を向けていた。
金髪の女の子が席について名前をリッツ・クリスと名乗った。
「この家の前に住んでいた人は行方不明になったというのは知っておりましたが、同じ高校の方だったんですね」
「そう、私たちと仲が良かったんだよ。でも、二年前の洞窟の落盤事故に巻き込まれて、それっきり行方知らずになったんだ」
「ああ、そうだったんですか」
「それで、私たちは卒業で、本当はその子……かれんも一緒に卒業するはずだったんだけれども」
「そうだったんですか。心中お察しします」
「特にみゆは同じ中学だったのもあってね。とにかく、迷惑かけてごめんね、クリスさん」
「みゆ、あ、その、美由紀さんはさぞつらいでしょう」
クリスは理恵に目を向けながらも、チラチラと美由紀の顔をうかがっていた。顔を向けはしなかったけれども、目が忙しなかった。理恵の目に全く気付いていないのだろう、理恵がまじまじとクリスの顔を見ているのにもかかわらず、美由紀へ視線を注いでいた。
「ところで、隣の二人には面識があるようだけれど、まさか迷惑かけてないよね」
「どうしてそれを?」
「顔を見れば分かるよ、後ずさりもされちゃあ分かろうとしなくても分かるよね」
「あー、その、すみません。前に私の体をやたら見て触ってきたことがあったので」
「本当にごめんね、興味だけで行動するから、多分金髪の子って聞いてそのまま見に行ったんだと思う」
違うよりえ、似てたんだもの。スウイが腫れぼったくなっている目を理恵に向けていた。テーブルに腕を突き立てて、今にも立ち上がって迫ってきそうな勢いだった。似てたんだもの、かれんに似てたんだもの――テイルに止められなければ延々と訴えてしまいかねなかった。
「まあ確かに、クリスさんと面影が似ているけれど」
「そうですか、そういう理由であのとき」
「みんないなくなった友達が大事なんだ」
「愛されていたんですね、その方は」
「そう、みんなの中心だった。いろんなことをやるにもかれんが真ん中にいてやってた」
理恵は出されたお茶を一気にすすると、ふうと一息吐き出した。それから手をパンと一度叩いて、そろそろ出よう、と美由紀の肩をたたいた。けれど美由紀は首を横に振って、可憐の部屋が見たい、と言い出した。ここは可憐じゃなくてクリスの家だと理恵が教えても頑として、行きたい、とつぶやいた。真里香やテイルが説得してもだめで、クリスに部屋を見せてくださいと懇願する始末だった。
しかしどうだろう、それを認めてしまうのがクリスのすごいところだった。分かりました、と言うなり、美由紀ががばりと立ち上がって、家主を放って部屋へ行こうとした。さすがにまずいと思ったのだろう、鈴藤由姉妹と真里香が美由紀を止めて、クリスに可憐の部屋があった場所を教えた。二階の階段に近い部屋だと。するとクリスは自分の部屋に使っていると言って、物をいじらなければ自由に見て構いません、と言い放った。
美由紀が言葉につられるまま無言ですたすた歩いていって、それを残りが追いかけてゆく格好となって、理恵とクリスだけが部屋に取り残されてしまった。
卒業生が部屋を半ば荒らしているような状況にクリスは苦笑して、そそっかしい先輩ですね、とテーブルのお茶を自らのもとへと寄せだした。
けれども理恵は、表情をなくして、真顔でクリスを見つめて、お茶を片づける姿に声をかけた。
「なにかありますか」
「かれんが私たちのところからいなくなったのは確かに悲しいことだったんだ。ぽっかりと穴が開いて、ふさぎようもない」
「そうでしょう、お察しします」
「クリスさん、あなただって同じでしょう、高校時代の記憶をなくすなんて、どうしようもない穴だもの。それを、もう一度高校をやり直すことで埋めようとしてる」
「えっと、なにを……なにを知ってるんですか」
「高校の記憶はなくなっても、中学のときの記憶は残ってるんでしょう? みゆと一緒だった、中学時代のこと」
「なんで、そのことを」
「だってさっき、みゆって呼ぼうとしてたじゃん。それに去年、リミュレと話してるのを盗み聞きしちゃったんだ」
理恵の言葉に動きを失っていた腕がグラスを集めて、それらを盆にのせた。柔和だった表情は今や少しばかり強張っていた。そうですか、とぽつり言葉を漏らすと、お盆から手を離して、一度座りなおした。
「私はむしろやり直しやすかったんです。すっかり記憶がなくなっていたので。多分、あなたも前の私の友達だったんでしょう」
「そうだよ、猫耳カチューシャつけあうような仲だったんだぞ」
「みゆを見て、ああやっぱり私、時代がずれたんだな、って思いました。あの事故で、命を救ってもらって、それで記憶と時間がなくなったからやり直そうと思って、でも、みゆを見たら、やり直したところで同じところにはいけないんだって」
「確かにやり直しはきかないのは私でも分かる」
理恵は体をかがめて、足元のバッグを漁った。首がテーブルのへりに引っかかって、右手を精一杯伸ばしてバッグの中をかき混ぜて、取り出したのは携帯電話だった。
「でも、新しく関係を作ることはできるだろ?」
「それをしたって、みゆの苦しみを和らげてあげられません」
「かれんだってそうだよ、全部元通りになるわけじゃないのに、高校を一から通いなおすことにした。同じように、みゆの傷を癒しはできなくても、同じような関係になることはできる、違う?」
理恵は自分の携帯電話を顔の横に掲げて、クリスに見せびらかした。クリスが携帯電話に目をやっているのを見届けてから、携帯電話を下ろした。帰りにメルアド交換するってことでいい? 理恵の問いかけにクリスは目をそらしたけれども、しばらくして視線を戻して、首を縦に振った。